これは、つまり情報ビッチ

「みやうちは、情報ばかりだから、すぐに悩むんだよ。周りなんてどうでもいい、自分の五感で生きなさい」

大学受験の頃に、恩師が言っていた。
まあこれは要約するとつまりは、当時、私がしたらばの受験版ばかり見ていてナーバスになっていた時に、「スマホを見るな。机に向かえ!」と言われたということなのだが。

根本的に、私は周りの目を気にする人間であり、基本的に人間はみんなそうだと思っている。


誰かに聞いたからとか、誰かがこう言ってたからとか、いままでの人生そういうのばかりだ。
目の前でこしょこしょ話をされて、こちらを向いて微笑まれたらほっといて堂々としているだけの勇気が私にはない。「いっそのことビールをかけてやろうか」と思うくらい被害妄想オバケな説も否定できない。

これは一見、とても保守的で臆病な人間に思えるかもしれないけれど、むしろ挑戦的な人間である気もする。
だって、人がどういう感情でその言葉を発したとか、どういう状況でその言葉を考えたとか、そういうのを一気にすっ飛ばして

「友達がそう言ってたから」

で片付けてしまうのだから。すごい、すごい挑戦的な姿勢だ。自分で聞いたわけでもない情報に、異様なまでに飛びつく。ところかまわず食いつくその姿はもはや情報ビッチである。

少し違う話になるが、物事を考える時もそうだ。

私はよく、朝まで生テレビを朝まで見る。長い時間みていると、あの政治家がこんなこと言ってたというのばかり目に付くもので、知らないうちに自分で考えることをやめている。

「あー!この人分かるなあ」とはなるけれど「あー私はこう思う」とはならない、時もある。とはいえ、これは必ずビールと一緒に視聴しているせいもあるかもしれない。

なぜ五感で生きなさいとあの時言われたのか。
私には、自分で感じとって考える力がない。賢くないのだから、自分の目や耳で確かめなければならないのに、感じとろうとしない。だって、目の前にはパソコンがあり、iPhoneがあり、SNSがある。

目の前に、簡単にご飯をおごってくれるイケメンがいたら。
労力をかけて手に入れるフェーズが面倒くさくなり、すぐに食いつくかもしれない。


もう、簡単に自分を情報に許したくない。目の前のイケメンなんて信じない。信じられるのは、ゆっくりデートを重ねられる真面目な男性だけだ。

情報と自分の五感。

頭の中で天秤にかけながら、それでも私は目の前のイケメンに屈服する。

今日もみん就を見て憂鬱になる。そんな夜。

こういう時こそ、沢山飲みに出かけよう。