ブルはそれでもヒーローになるのか

2015年は初体験が沢山あった。

就職活動、祖父母との同居そして解消、iPhoneの水没、肉への目覚め、セクハラの探求。
どれも私にとって革新的なものだったけれど、やっぱり一番は
「ダーツの真ん中が最高得点でないこと」を知ったことだ。

 

お正月、父がいつも以上に気合いを入れて数の子を食べる。数の子の皮をせっせとむいたのは私なのだから「優先的に分配しろ」と思ったけれど、声にすることは無い。

横には、いつもとは違う日本酒が並べられ、父は嬉しそうに解説をしていた。解説の声と同時に数の子に伸びる箸数も止まらない。「やめてくれ」と心の中で1切れの数の子と対話しながらの元旦だった。


翌日、父は数の子を食べなかった。
様子がおかしいと思い、尋ねてみると今日は「休肝日」だからという。
父は、日本酒がないと数の子を食べない。

世の中には「王道」というものが必ず存在する。

ビールには焼き鳥、オムライスにはケチャップ、お正月にはおせち、パーティーにはドレス。
「ダーツなら真ん中」もこれまで自分の中で王道と思っていたものの一つだ。

小さい頃、100円均一で買ったダーツセットで友達と遊んでは、誰が一番真ん中に上手くあてられるか競争したものだったし、テレビ番組なんかでも真ん中にあたれば「豪華賞品!」などという文字を目撃する。町内の福引き大会だって同じだ。

22歳にもなってようやくダーツをまともにやって、それが間違えだったことに気づく。正確には17点以上のトリプルを出すのが最も点数が高いなんて、なんという詐欺だ。そして、その事実に気がついてからも、真ん中に矢が刺さったときはやっぱり嬉しい。

では、なぜみんなが真ん中を狙うというイメージがついていたかというと、私が素人だったということのほかに、そこが一番面積の割に高得点を出しやすいかららしい。

王道はたしかにいつだってコスパがいい。

例えばオムライスに納豆をかけることは、ある人にとっては神的に美味しくなるが、ある人にとっては劇的にまずいかもしれない。でもケチャップをかければまあ嫌いという人はなかなかいない。

だからといって、世の中がすべて王道で回れば、王道以外が生まれない訳だからその道は停滞する。(飽きる、という表現は飽きないから王道かもしれないということを加味してやめておく。)

ダーツは実は王道が最高得点じゃないようにしているし、人の味覚だって人によって違うから新しい料理が生まれ、食べログの口コミが4件くらいのお店がものすごく自分好みだったとき、私はまた違う喜びを感じるようにできている。

なにか新しいことを考える時、一人で考えるのはとてもコスパがいいと、これまでは思っていた。例えば就職活動で企画案を求められた時も、誰かに自分の考えを作る段階で見せたことはまずない。
カフェにいく時間があるのなら、ベッドの中で考えればいいと思ったし、一人でビールを飲みながら何かをするのが正直一番はかどる。

でも、ダーツの真ん中みたいに、それは最もコスパがいいだけだったのかもしれない。

自分の価値観の中だけで王道を決めつけないで、ちょっと蛇足になるかもしれないし息切れするかもしれないけど新しい価値観も取り入れてみる。そしたらオムライスにとろろを入れるメニューが生まれるかもしれない。

そういうことが、実は最高得点になることもあるんじゃないのかな。

それでもやっぱり、自分1人で出した成果の方が、ダーツのブルみたいにヒーローになれるのかな。

なんだかミスチルみたいになってしまったけれど、社会に出る2016年。
無駄になることを恐れないで、王道以外を考える年にしたいと思う。